2007年06月24日

映画と往年の名車のコラボレーションPART6前編

昔、昔戦争がありました。私たち戦後世代の人間には、戦中・戦後の

激動期に生きた人々の苦難の歴史を知ることはほとんどできません。

わずかに、ドキュメンタリー映画や創作映画などにより、戦争の恐ろ

しさを知ることができます。

かつて別府の町は、他の地方都市と同じように、戦後の混乱期、親を

戦禍で失った孤児たちであふれかえっていました。

当時米軍の陸軍大尉で、ジョン・オー・アーンという軍人が光の園

白菊寮という児童養護施設を慰問に訪れていました。

アーン大尉は軍の異動で神奈川県の座間市にある座間キャンプに駐留

していましたが、白菊寮の子供たちを忘れることができず、自分に何

かできることはないでしょうかと白菊寮に尋ねたところ、子供たちか

ら「雨の漏らない家がほしい」という切なる願いがあることを知り、

彼は一大決心をしたのです。

アーン大尉は軍の仲間たちとある賭けをします。

自分がキャンプ座間から、別府の光の園白菊寮までの1320kmを

2週間以内で歩き通すことができたら、賭けたお金は白菊寮の改築資

金として使わせてもらう、もしできなかった時は2倍にして返すとい

った賭けでした。

彼は白菊寮の子供たちのために日夜歩き通し、見事目的を果たすこと

に成功します。

彼はその後何度も繰り返し1320kmのウォーキングを行って

募金をし、ついに白菊寮を再建することを実現することができました。

アーン大尉はその後、軍の命令により米国本土での勤務を命ぜら

れましたが、できるだけ白菊寮の子供たちのそばにいて、いつで

も日本に行けるようにと、ベトナム勤務を自ら志願し、ベトナム

に配属されることになったのです。

当時はベトナム戦争の真っ只中で、生きて帰れる保障など全く無

かったのですが、ベトナムに行かないでと泣きじゃくる子供たち

に、自分は鉄砲の弾が当たっても死なないよと言い聞かせ、涙な

がらにベトナムへと旅立っていきました。

アーン大尉は、ベトナムの最前線におりましたが、ある日クリス

マス休戦の直前、ジープで偵察中、地雷を踏んで吹き飛ばされて

帰らぬ人となってしまったのです。

前編はこれで終わりといたします。この続きはまた明日掲載させ

ていただきますので、ぜひご覧になって下さい。

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posted by 101匹ニャンチャン at 01:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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